「公衆衛生ねっと」 災害時の公衆衛生

島貫秀樹の支援活動 ⑥

○5日目(3月18日::被災8日目)

10時、戻れる人が自宅に帰っていく。介護が必要な家族もヘルパーさんの力を借りて帰宅。
犬と一緒に避難したひとや、した人も自宅へ。津波の被害にあった人と、介護が必要な人、住宅が全壊した人が残る。

11時:
引き継ぎするスタッフが到着。
大学教員2名、西宮市から保健師2名、事務員2名。
経緯と現状を報告。

14時
町内会長、行政、学校関係者、地域包括支援センター、ボランティア団体による会議
昨日行った、避難している方の現状を確認。
その結果、避難所を沖野中学校の武道場の1つに縮小する。
配給に関しては、それぞれが行わないで、コミュニティーセンターで行う。
そのチラシを本日の配給時から配布する。

15時30分
津波の被害にあった方を、中学校の武道場へ移動。

19〜20時
若林区役所で活動報告と引き継ぎ。

保健所の赤井所長、及川課長にも挨拶をして仙台をでる。
山形のタクシー会社で移動。
妻に山形市内のホテルを予約してもらっていたので、行き先を告げ
その後は記憶がない。おそらく気を失っていたようだ。


○6日目(3月19日:被災9日目)

朝8時に山形駅前から鶴岡駅にバスで移動。
その後特急で新潟にもどる。13時自宅着。


まとめ

5日間でできたことは限られていた。
避難者が死ななかったこと
避難所3箇所から1箇所にできたこと
それと、スタッフをいたわれたこと。
これが今回できたことだと思います。

時間ができたらゆっくりと振り返りたいです。

最後になりましたが、
活動を支援してくださいました皆様に感謝申し上げます。
そして、一日も早い復興を願いします。

報告者  島貫秀樹(新潟医療福祉大学教員、保健師)